| 技法 | 岩絵具、雲肌麻紙、パネル |
| 額 | 額装 |
| サイズ | 194.0×224.4 cm |
| 鑑定書 | 共シール |
※エスティメイトについてはお問い合わせください
「ビルシリーズ」は1984~1996年頃にかけて描かれた作品群であり、千住が東京藝術大学に入学してから間もなく描きはじめた作家の原点とも言えるテーマである。このシリーズには、大都市・東京に生まれ育った千住が小学生の頃に体験した、無人のビル街を探検する記憶が色濃く反映されている。後年、千住自身も「知っていることから描こうと思った」と語っている。
幼少期、千住が通った小学校は東京港や東京タワーにほど近い麻布にあり、そこから渋谷へ都電や徒歩で帰宅していた。その当時、港区から渋谷区にかけては「古くなったビルが立ち並び、どれも階段や屋上へつづく通路はかなり自由に出入りもできて、こどもの探検心をくすぶるには絶好のものだったに違いない。都会育ちの子供たちは、木や山に登って遊ぶということの代わりに、ひそかに廃屋となったビルに忍び込み、非常梯子を登ったり、フェンスを越えて屋上まで行ったりと冒険を愉しんだものだったろう。
このような廃屋探検は、やがて「迷宮」を旅するかのような魅力を帯びていった。セメントで固められた回廊、風雨にさらされた壁や床、屋上から見渡す灰色のビル群、それらは時間の堆積をまといながらも、どこか美しさを湛えていたのだろう。夕暮れ前の柔らかな光や、茜色に染まる空とビルのコントラストは、日常に新鮮な輝きを与えてくれていたに違いない。中学、高校時代は横浜の日吉にある学校に通い、自宅も郊外に引っ越し、さらに腰痛の治療の関係から孤独な時間を過ごすこともあったという。
しかしながら、東京藝術大学受験をめざし新宿の予備校に通うようになって、早朝の新宿のビルの谷間から見えた空は、心理的効果もあって「哀しくもさわやかな印象と、こどものころの忘れていたものを思い出させてくれる懐かしさ」もあったという。
やがて芸大に入学すると、少年時代に親しんだ古いビル街は姿を消し、代わってガラス張りの近代的な建築群が出現していた。だが、そこにふと古いビルを見つけると、千住の心には抑えがたい衝動が湧き起こり、思わず駆け寄って屋上へ登り、広がる街を見渡したという。その光景は過去とは異なる「新しい都市の表情」であったが、同時に少年時代の記憶の断片がパズルのようにつながる瞬間でもあった。
学生時代、スケッチブック片手に東京の街を無心に歩いた千住。その体験の堆積が「ビルシリーズ」として結晶した。これらの作品群には、作家・千住博の原風景が刻まれているのである。